演出上野のブログ一覧

2020年03月01日

第21回「芸術の評価は観る側が決める」

表現者が常に意識しなければならないことの一つに、演じた表現の評価は誰がするか。
自分自身が評価することでは無いことは確かです。では、誰が・・・。それは、観ている側の観客やテレビの前の視聴者が決めるのです。

例えば、テレビ番組やドラマで例えると、作り手は面白い作品を作る為に企画から放送まで、ありとあらゆる力を結集して製作しています。しかし、作る過程の苦労や努力などを知らないテレビの前の視聴者が、「面白くない!」とチャンネルを替えると視聴率は落ち、番組は打ち切られて行きます。テレビ局にとっての視聴率は番組の評価を数値化した成績表です。
この視聴率は局の番組に、スポンサーがお金を出してくれるかどうかにもかかってきます。

そうだとすると我々は、観る側の気持ちを無視して演じることは出来ません。
しかし、観る側が自分の表現を受け入れるか否かは、演者には分かりません。
そこを、全ての責任において判断しているのが、演出家であり監督、ディレクターと呼ばれる人達です。(「役者と演出家の違い」でも記しています。)
この人たちは、視聴者と表現者の間に入り、全ての責任を持って、作り手の思いが視聴者に伝わる表現かどうかを判断していきます。ですから、全ての表現(照明・衣装・道具・カメラ・タレント…etc.)に支持を出すことが出来るポジションにいるのです。
表現者としては、その責任者の要求に答えられる表現力が必要になります。

芸術の評価は観る側が決めるのです。
表現者は、観る側が納得出来る表現を心がけると共に、要求された表現が出来る技術が必要になります。

我々が居て観客が居るのではなく、観客が居て我々の表現は活かされるのである。

今日は、この辺で、ありがとうございました。




2020年02月01日

第20回「舞台の表現とカメラの表現②」

今日のテーマは

「舞台の表現とカメラの表現②」

 

前回は舞台の芝居について触れましたが、今回はカメラ(映像)で必要な演技についてお話します。

 

まず役者(タレントを目指す人)の大半の人は、見せる・聞かせる・伝える為の芝居を学びます。もちろん、基本の基本ですから間違いではありません。すると、見てる側を客席として演じる為、舞台の芝居と同じ表現方法を先に習います。これも間違いではありません。むしろ見せる意識のない表現は、自己満足に過ぎません。

ですので、知らず知らずのうちに表現が大きくなっています。これが、テレビ・映画では、邪魔をすることがあります。

なぜなら、舞台と違い、テレビや映画は、カメラが役者に近付きます。アップになると顔のシワまで写ります。にもかかわらず、大きく動く癖や、大きな声で遠くへ飛ばす台詞まわしがカメラに収まりません。

テレビ局の方がよく劇団で芝居されている方は、芝居が臭いから(オーバーだ)と言われます。演者はオーバーアクションでないと、芝居をしている気がしないのです。

 

舞台は額縁の中で、どう動くかが必要ですが、テレビや映画はカメラのアングルの中でどう動くかが必要になります。また、カメラは寄ったり引いたりしてアングルの変化によって表現します。そのアングルに応じた表現方法が求められるのです。

 

もちろん、気持ちの動きは舞台も映像も変わりません。ですから表現方法の使い分けが必要なのです。歌舞伎役者の方が、ドラマや映画に出ていても歌舞伎の芝居はしていません。

 

私も映画を撮る時、出演者に言い続けたダメ出しは「芝居をするな!」でした。

舞台と映像。使い分けられる技術を身に着けてください。

 

今日は、この辺で、ありがとうございました。




2020年01月01日

第19回「舞台の表現とカメラの表現①」

あけましてございます。
今年も、私が、役者、演出、映画監督を経験して感じてきたことをお話していきたいと思います。
ぜひお付き合いください。

さて、2020年1回目となる今回のテーマは、

「舞台の表現とカメラの表現①」

舞台での役者の演技法(表現)と、ドラマや映画のカメラに収める為の役者の演技法(表現)の違いについてお話します。

私は舞台の演出を数十年間、毎年やって来ました。そして昨年、初めて映画の監督を行いました。(日本放映プロ製作映画「はい、ええ転です。」の詳細はこちら
その映画の出演者には、舞台を何度も経験している人も多数出演されています。その時に感じた、舞台の演出家と映画監督の要求する表現の違いを話したいと思います。

まず、舞台の芝居から。
舞台は、客席から見える額縁(ステージと左右上の黒幕で仕切られた四角い範囲)の中で表現します。
ホールの大きさやステージの大きさによっても、表現方法は変わります。50人収容の客席の場合と、500人収容の客席の場合とでは、見せ方は変わります。
ただし、一番前に座っている方にも、一番後ろに座っている方にも、何処に座っているお客様であろうと、同じ感情が伝わる表現方法にする必要があります。
また、本番中はステージ全体を常に見られている訳ですから、舞台の上に立つ役者は全ての者が芝居をしていなければなりません。
もちろん、台詞を忘れる・動きを間違える・やり直すなどは、あってはならないことです。
スタッフの照明・音響・道具など裏方も芝居に合わせて、効果的に連動しなければなりません。舞台は生本番(live)ですから・・・。
役者の表現方法も客席の後ろまで、見せ・聞かせる芝居になる為、大きな動きや大きな声が必要とされます。

舞台は消え物です。お客さんの反応によっても芝居は変わって来ます。お客さんがよく笑いよく感動してくださると、芝居もそれに合わせてお客さんと一体化していきます。ですから、舞台の芝居は消え物と言われます。二回と同じ物は出来ないと言うことです。

舞台の醍醐味は、こちらが勝手に日時を決めた日に、チケット購入し交通費を払って見に来て、こちらが決めた席に上演時間の間(2時間弱が多い)座らせて、一方的に見せる・・・にも関わらず、いい芝居をすると「ありがとう」と言われる。これが、生の舞台のいいところです。

それに対して、カメラ前での芝居は、というと。。。

次回に続きます。
今日は、この辺で。ありがとうございました。

 




2019年12月01日

第18回「役者と演出家の違い」

今日のテーマは

「役者と演出家の違い」

 

今回は演じる側と演出する側の違いについてお話します。

まず演じる側。俳優の仕事は台本に書かれている自分の役を演じきることが俳優の仕事です。
一方、演出側(演出家・映画監督・プロデューサー)は、台本に書かれていること(大道具・音楽・照明・小道具・俳優の演技など)の全ての責任を負っています。

ですから、BGMひとつ取っても、どの曲を使うのかを最終的に決定するのも演出側です。この様に細部まで責任を持ちます。もちろん、どの俳優さんをどの役で使うのか、キャスティングも演出側に決定権があります。

 

作品すべての責任を負うのが、演出側の仕事です。

例えば、映画を撮ってヒットしない作品に何度出演していても、俳優さんには次の仕事が入ります。それは、俳優さんは監督の指示に従って演じているからです。

しかし、映画監督が何作もヒットしない作品は作れません。何故なら、その監督には予算が降りないからです。全ての責任は演出側に有ります。

 

ですから、俳優さんが監督に作品の内容について意見を言ってはいけないのです。もちろん、演じる為に必要なコミュニケーションをはかり、その中で役についての質問や演じる為の感情論での意見交換はいいと思いますが、それ以外のことは俳優が意見することではありません。

 

私が考える俳優と演出家の作品に向かう心構えをお話します。

俳優は、演じる為に意に沿わない表現方法であっても、演じる前に反対意見を言ってはならない。演出家の求める表現を正確に演じることが俳優の仕事です。演出家からOKを貰ってから、自分の意見を述べると演出側は、「なるほど」と話を聞いてくれます。(中には聞かない人もいますが)出来ないから逃げていると思われないことです。

逆に、演出側は演者から質問を受けたら、演者が納得出来るように説明出来ないのなら、演出はやってはいけないと考えてます。

また、演者は演出側の話を納得したにも関わらず、その表現が出来ないのであれば、俳優と名乗ってはいけないと思ってます。

 

今日は、この辺でありがとうございました。




2019年11月01日

第17回「台詞を覚えるために③」

今日のテーマは

「台詞を覚えるために③」

 

前回までの「台詞を覚えるために①と②」を踏まえて、今日は具体的例題を上げて説明します。

前回私は、台詞は気持ちのキャッチボールであるとお話しました。

キャッチボールである以上ボールは、1つです。自分が投げたボールは相手に渡り、受け取った相手はそのボールに気持ちを込めて返して来ます。その間、こちらは相手のボールを投げる様子をじっと見て、どんなボールを投げて来るのか待っています。転がしてくるのか、フライのようなボールなのか、怒りのこもった早いボールなのかを・・・。

何とかぎりぎり捕れた様なボールを返してくれば、こちらの気持ちも変わり少し意地悪なボールを投げてしまうかもしれない。キャッチボールは会話です。

 

上記の事を踏まえて以下の台詞を読んでみてください。

 

A「あれだけ遅れるなって言っただろう。」

B「すまん。」

A「お前と居るとろくなことがないよ・・・このバカ!」

B「! バカって何だよ! 俺が寝過したのは、お前が夜中に電話してきたからだろ。」

A「え! 俺の電話のせい? だったら俺は何で遅れてないんだよ。」

B「お前は、起こしてもらえる家族と一緒だからだろ。」

A「だったら、お前も家族と暮らせよ!」

 

上記の会話は、相手の台詞を聞かないと次の台詞は出てこない筈です。

例えば、Bの台詞だけを活字で覚えても気持ちが繋がらないので、頭から活字を消すのは難しいです。ところが、Aの台詞を聞いて感じる気持ちで覚えると覚え易くなります。

Aの「・・・このバカ!」を聞くと、Bは「! バカって何だよ。」と云う様に。

また、第16回で触れた役作りも役立ちます。

この場合、Bは昨日の夜から遅れて到着した、ここまでの自分の行動を作りあげておきましょう。

すると、Bは「俺が寝過したのは、お前が夜中に電話してきたからだろう。」と、気持ちで話す台詞が喋れます。

自分の台詞を言いやくする気持ちの変化は、相手の台詞の中にあります。相手の台詞を聞きながら気持ちを動かしていけば、台本通りの台詞が出てきます。

 

この繰り返しで、台詞を気持ちの動きで覚えるので、役者さんは大量の台詞を覚える事が出来るのです。活字だけで覚えるのは至難の技です。

あなたも挑戦してみてくだい。きっと、何かをつかめる筈です。

 

今日はこの辺で、ありがとうございました。




2019年10月01日

第16回「台詞を覚えるために②」

今日のテーマは

「台詞を覚えるために②」

 

前回、台詞の成り立ちと役者の役割をお話しましたが、今日はその台詞を具体的に覚える為に必要なことについてお話します。

 

皆さんは舞台の芝居を見たことがありますか?

舞台の芝居は観客に見せる前に、数十日もしくは数ヶ月かけて作りあげる作品もあります。

この舞台で発せられている台詞の数は膨大な台詞量です。1時間30分の作品ではページ数にして100ページ前後の量になりますが、上演時間は毎回同じです。30秒と変わることはありません。

1時間30分間にわたり、数人の役者が、かわるがわるに台詞を喋るにも関わらず上演時間は何度やっても同じなのです。

その理由は、台本の台詞(会話)は気持ちのキャッチボールで出来ているからです。キャッチボールのリズムとテンポが変わらなければ、同じ上演時間になる訳です。ということは、芝居は気持ちのキャッチボールが重要だという事です。

 

台詞をだだ覚えて喋るだけでは、棒読みの台詞になりますが、その台詞に気持ちが入っていれば「ことば」になります。ドラマはその「ことば」のやり取り(キャッチボール)で成り立ってます。

皆さんは、映画やドラマで感動した作品の台詞を全て覚えていますか? まずそんな人はいない筈です。台詞なんてほとんど覚えていないのが普通です。では、何故感動を感じたのか・・・それは、役者が発していた台詞の中の気持ちを受け止めていたからです。

役の人物の気持ちを追いかけていたからです。

 

では、台詞に気持ちを込め、言葉にするにはどうすれば良いのか?

活字で覚えた台詞を、気持ちで覚え直して、頭の中から活字を消す必要があります。

その為には、役作りに置いて、役の人物の生い立ちや、現在の環境・相手役との人間関係など細かく台本の中から拾い出して行く事からはじめます。

例えば、相手役が尊敬する先輩だとすると敬語で話す。挨拶は自分からする。返事は「はい。」になる。先輩の話は聞いてから発言しようとする。先輩の話で自分の気持ちが変わり、次の言葉を話したくなる。

このように少しずつ、頭の中から活字を消して「会話のキャッチボール」が出来るようにして行くのです。

 

次回は、もう少し具体的に台詞の一部を使って解説します。

今日はこの辺で、ありがとうございました。

 




2019年09月01日

第15回「台詞を覚えるために ①」

今日のテーマは

「台詞を覚えるために ①」

 

先ず今日は台詞の覚え方を話す前に、台本について話をします。

私も台本を書く事があります。その書き手からの意見でもあると思っていただけたら幸いです。

よくあるのが、台本の内容を読むと云うよりも、読みながら自分がやれる役は何かを探しながら読む。もしくは役名が決まっている場合は、その役を中心に読む人がいますが、このような人の大半は台本に書かれている重要な内容を見落としていることが多い様です。

理由は、台本の台詞を自分の都合の良い様に解釈して読むからです。

 

役者が台本を読む時には、まず台本に書かれている内容を掌握する為に、素直な気持ちで読む。邪心が無い状態で感じ取った事が、恐らく作者の伝えたいことと同じだと思います。その上でもう一度、自分に与えられた役がこの台本上でどんな役割があるのかを理解する為に読み直すと、演じる人物像が見えてきます。

その時の注意点としては、与えられた役を中心に読まないことです。最初に素直な気持ちで読んだ時の内容を忘れずに読むことです。

こうして、役の人物像を捉えることが出来れば、役作りは、やり易くなります。

 

次に、作者にとって台本の台詞とは役者やスタッフに対する「道しるべ」です。作者はドラマの始まりからクライマックスのシーンにかけて表現してもらいたいと思っている内容を「台詞」と「ト書き(動きや感情を補足説明した箇所)」で表しています。

という事は、役者にとって台詞とは作者から託された、道案内の大切な「道しるべ」です。一言一句間違わずに覚え表現しないといけない事が分かります。

そして、覚えた台詞を役者が発する時は、作品の役割をもって、気持ちを表現する為の道具として使われます。

観客(視聴者)は役の人物を通してその台詞の気持ちを聞き作品の中に引き込まれて行き、感動を覚えるのです。

役者にとって、台詞は作者と観客(視聴者)の気持ち(感情)の橋渡し役です。

 

上記のことを踏まえ、次回は台詞を覚える為に必要なことについてお話します。

今日はこの辺で・・・。




2019年08月01日

第14回「レッスンや稽古では、汗をかけ」

日本放映プロのレッスン時には、動きやすい服装、ジャージなどに着替えてレッスンを受けるように伝えています。

我々の業界は体育会系ではなく、文科系です。ですが、普段着でレッスン会場に入りレッスンを受けて汗もかかずに帰れるほど楽な仕事ではありません。

確かに、ダンスの様に激しい動きを繰り返すわけではありません。セリフを読み、覚え、日常の会話の様なドラマを表現するだけかも知れません。だからと言って着替えることなくレッスンを受けるというのは、自ら身につけるべき表現力に規制をかけ成長を遅らせているのと同じです。

皆さんは正装(スーツやドレス)を着ると、ジーンズを履いている時とは動きが違うはずです。汚れないように、着崩れしないように、自分の動きを制限している筈です。

それと同じように、レッスン時に着替えていない人は、夏場なら汗だくになった服で電車に乗って帰りたくない。冬場なら汗をかいて表に出て、風邪を引かない様にと動きを制限します。

ラジオ体操でも一生懸命やれば汗ばみます。なのに、表現者としてテレビや舞台に出て、ギャラ(出演料)をもらおうとしている者が、自分の技術を磨くためのレッスンや稽古で、汗をかくことを嫌がっていては、一人前のタレントになれる訳がない。

レッスン会場や稽古場では、気持ちを表現するために、床に座ったり転がったりして、汗をかき、自分の表現力を磨き上げていくのです。

 

ある演出家の方は、「演劇はスポーツだ」と言っています。私も同感です。

自分の中にある感情を思い切って、出す(表現する)事によって観ている人にその感情が伝わるのだと思います。

演者はセリフや身体の動きを使って、観ている人に気持ちを伝えるのが仕事です。その為には、人一倍の鍛錬と努力が必要なのです。

 

ですから、レッスン会場や稽古場では「汗をかく」のが常識だと思って、衣服と一緒に心も着替えてレッスンに励んでください。

 

今日はこの辺で、ありがとうございました。




2019年07月01日

第13回「レッスン内容の意図を知る」

今回は「レッスン内容の意図」について
当社のレッスンにも様々な内容のものが有ります。

芝居はもちろんダンスや声楽・朗読など多数ありますが、そのレッスンを受けるにあたっての心構えを記します。第4回目の「レッスン内容は理解が必要」でも触れていますが、受けている人が今何の為にこのレッスンを受ける必要があるのか。
先生が教えたい意図は何なのか、を理解して受けているのかが重要になります。

例えば、演技レッスンの中でも「狂言」のレッスンが有りますが、私が聞いていると狂言的言い回しばかりに気をとられ、俳優が狂言を学ぶ意味が抜けている様に感じます。
先生は最初の時点で話をしているはずなのですが、やり始めると表現方法にのみとらわれているようで、俳優として今学ぶべき事を忘れているようです。

「狂言」は「能」と同じく日本の古典文化の1つです。
「散楽」(滑稽な物真似や劇、奇術、幻術、曲芸など)が、土着の芸能と融合して生まれた芸能の1つが「猿楽」です。そして猿楽の劇として「能」は悲劇的な物語で歌や舞を中心に、「狂言」は人間の滑稽な部分を題材にした喜劇で、面を付けずセリフと動きを中心に演じられます。これらの流れを汲んで生まれたのが、「歌舞伎」です。
簡単に説明すると上記のようなことになります。

話を元に戻しますが、当社では狂言師を育てているのではなく、俳優の表現に必要な題材として行っている訳です。上記で記した様に、滑稽な喜劇としてセリフを使って表現するわけですから、言い回しより感情による表現が重要なレッスンだと思います。
セリフの中で感情が変わったところをデフォルメするから滑稽な喜劇=狂言になるわけです。
だとすると、狂言のレッスンは感情表現のレッスンで、狂言らしい言い回しのレッスンでは無いということです。

「狂言」に限らず、レッスン内容で、何の為にこの様なレッスンが必要なのか。それを分からないままで受講せず、先生が教えたい意図を理解して、レッスンに望んでください。
当社のレッスンの中には、タレントに不必要なレッスンは、何一つありません。
理解すると目標が見えて来ます。そうすると楽しいですよ。

今日はこの辺で。




2019年06月01日

第12回「復習は何時やるか」

今日のテーマ

「復習はいつやるか」

例えば、日曜日にレッスンがあり、次のレッスンが1週間後の日曜日にあるとしたら、あなたはいつ復習と予習をしていますか?

研究生の何人かに聞いてみると、人それぞれでした。理由は、日常の生活習慣により、復習時間の取り方が違う為のようです。真面目な人ほど、きちんと予習復習の時間を決めておられる様です。

時間を決めて練習を行う事はいいことです。・・・が、その時間を最大限に生かす為に付け加えるアドバイスとしては、

「レッスン後24時間以内に、一度復習しましょう。」

なぜなら、レッスン後に時間を置いてしまうと、その時に出ていたダメ出しや注意点、変更点を忘れてしまうからです。

私のレッスンでも「それ、先週ダメだって言ったよね。」「あっ、そうでした。」なんて会話がよくあります。これは、その人が復習していないのでは無く、時間が経ってから復習しているので細かいところを忘れているのです。

また、芝居は一人で作るものではないので、相手役や自分に影響を及ぼす役の人が受けているダメ出しも自分の芝居には影響するのです。例えば、相手役の性格が大きく変われば、自分も今までとは違う性格の相手役と会話をする事になるのです。

自分のダメ出しは、台本に書き込む方がおられますが、相手役のダメ出し(自分にも影響するであろうダメ出し)を書いている方はほとんどいません。

ですから、24時間以内に短い時間でもいいので復習する事により、自分以外の人に言っていた注意点も思い出されます。そうすることで、レッスン会場では見えなかったことが、発見出来たりもします。

この復習を一度やっておくと、一ヵ月空いても少し復習するだけで気持ちや動きがよみがえってきます。

私はよく、「今日私のレッスンを受けてから来週次の先生が来るまでは、毎日嫌でも私の顔を思い出してください。」と話しています。それはレッスンの内容を思い出してください。と言う意味です。

頭の中でレッスン内容を思い出す時間が成長を加速させるのです。

今日は、この辺で。