演出上野のブログ一覧

2019年01月04日

第6回「夢を追いかけられる幸せ」

新年あけましておめでとうございます。

皆さんお元気ですか?

最近つくづく、健康が何者にも勝る幸福だと感じます。

 

今日は「夢を追いかけられる幸せ」

このテーマで、書いてみたいと思います。私も四十数年前に芸能界に飛び込みました。何も出来ない少年が、憧れだけで飛び込んだ世界です。私のきっかけは友人に雑誌を見せられ「お前、こんなの好きなんじゃない?」って渡された事から、話が盛り上がり、盛り上がったまま、今もこの世界に居ます。

 

きっかけなんてものは、何でもいいと思います。新しい出会いが人の視野を広げ、考えてもいなかった世界へと飛び込んで行く。そして、また新しい出会いが出来、人生を変え成長させてもらえる。私がこんなに長く芝居に携われるとは思ってもいませんでした。

この四十数年間で数多くのライバルや仲間と出会ってきましたが、今もこの業界で芝居に携わっている者は極わずかです。

それぞれに離れて行った理由はあると思うのですが、自分の意思で離れて行った者は別として、家庭環境など周りの環境が続けたくても続けられなかった者も多く見て来ました。(本人はさぞ悔しかったであろう)

 

好きな事を続けられる人の方が少ないのだと思います。色々な運やタイミングが人生を変えるのでしょう。それだけに、夢を追い続けられる幸せは自分だけで作っているのではなく、周りの環境が続けさせてくれている、そのことに感謝しなければいけないとつくづく思います。

 

ですから私の願いは・・・今「夢を追いかけている人」は今の環境に感謝し悔いを残さない様に、精一杯走って貰いたいと・・・。

 

今日はこの辺で。

お付き合いありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。




2018年12月01日

第5回「演じるとは日常の再現」

今日のテーマは

「演じるとは日常の再現と想像力」

 

入ったばかりの生徒さんの中には「思ってたより演じるって、難しいですね」と言われる方が結構います。

確かにドラマや映画で役者さんが、台詞を簡単に会話の言葉にしているのを聞くとそう思えるのも無理はありません。皆が日頃使っている言葉を話しているだけですから・・・。

と言うことは、演じること(話し、動く)は日常の再現だと言うこと。ならば日常を再現することが出来れば、俳優に近付けると言うことです。

ただし、その為には話す台詞(言葉)に感情が入っていないと学芸会の棒読み芝居になってしまいます。

 

日常の中で自分の話す言葉と感情がどう動き、どう変化しているかを覚えておく必要が有ります。日常生活の喜怒哀楽を、気持ちの変化を冷静に観察するのは大変難しい事ですが、挑戦する意味はあります。

日頃から表現者として、意識していれば不思議と身に付くものです。

 

また、日常で再現できない事、例えば殺人を犯す犯人役や殺されていく被害者など、日常では体験できない感情や身体の動きなどは想像力で補う必要が有ります。

 

表現者とは日常の体験を再現し、観察力と想像力で新たなものを創りだすものだと私は考えています。

平凡に見える日常に興味を持ってみましょう。新しい発見があるかも知れません。

 

今日はこの辺で。

お付き合いありがとうございました。




2018年11月01日

第4回「レッスン内容は理解が必要」

今日のテーマは

「レッスン内容は理解が必要」

タレントのレッスンには、様々な内容のものが有ります。タレントや役者は自分の身体と声を使って、表現しなくてはなりません。(レッスンの必要性についてはこちらを

身体や声を使いこなすには、頭(脳)や心(感情)の動きもコントロールする必要があります。

 

例えば

発声では、息をどこに入れどこの力を使ってどう出すのか。また、その息を出す時、顔面のどの部分に当て響かすのか。するとどれくらいの音量の声がどの程度まで届かすことが出来るのかなど。理論で教わる事を実際に自分の身体と声を使って行わないと自分のものにはなりません。ところが頭で理解した事を身体で表現するのはなかなか難しいものです。

そこで、各先生方はあの手この手とレッスン内容を考え行っています。中にはゲーム形式で行ったり、内緒話のように静かに、声に意識を集中させて話し、相手役に伝えるコツを教えるなどして、自分の声に興味と責任を持って貰える様に試行錯誤しています。

 

ここで、大切なのはレッスンを受けている側が、何の為のレッスンなのか、このレッスンが何に役立つのかを充分に理解していないといけないと云うことです。

 

中には、「今日のレッスンは、ゲームで時間つぶししてたんだわ」と思っている人も居ると聞きます。

『何の為のレッスンか』を理解していない人にとっては、遊びのゲームでしかないでしょうが、時間をつぶすだけなら、高度の事をやれば幾らでも時間は必要になり、時間はあっと言う間に過ぎます。先生の時間つぶしでは無いのです。

先生がもし何の為に行う訓練なのかを説明しない場合は、勇気を持って必ず聞きましょう。大事な時間を意味の無い時間にしないためにも、レッスン内容は理解する必要が有ります。

 

今日はこの辺で。

お付き合いありがとうございました。




2018年10月15日

第3回「表現に正解不正解はない」

今日のテーマは

「表現に正解・不正解は無い」

演出家や映画監督が役者さんに向かって「そうじゃない! 違う! 下手くそ!」と言っているシーンを目にしたことがあると思いますが、では何が違うのか? 正解は何か?

 

表現とは何か。

例えば、画家の世界で言えば真っ白なキャンパスに、一筆入れてこれが作品ですと言えばその作品は成り立ち、表現者としては正解の表現です。もちろん、見る人にそれが作品に見えるかどうかは別としてですが。したがって、表現者が表現した段階で表現としてはすべて正解です。

 

では、なぜ役者は映画監督や演出家から「違う」と言われるのか。それは、映画監督や演出家が求めているものと違っているからです。

 

画家は、作品の責任はすべて画家本人が持ちます。しかし、役者は映画や舞台の表現者でありながら、作品のすべての責任を持つことはありません。

作品のすべての責任は映画監督や演出家が持ちます。そして、そのすべての責任を持つ者は、作品を良くするために役者やスタッフに対し、指示・指導していくのです。その際に自分の意に沿わない場合に「違う!」と言っているのです。

 

ですから役者は、責任者である映画監督や演出家の求めていることを理解し、その要望に応える表現をしなければならないのです。

その要求に答えるためには、それだけの表現技術のバリエーションを身に付ける必要が有ります。

そして、その要求に答えられる者だけが、次の作品に呼ばれるのです。

 

それでは今日はこの辺で。




2018年10月01日

第2回「才能の有無」

今日は

「才能の有無について」

マスコミのオーディションで落ち自分に自身が無くなったり、思うようないい役に付けなかったり、今までのペースでオファーが来なくなったりすると、よく「私には才能が無いんですか」と聞かれることがある。

そこで今日は、《才能とは何か》について話してみたいと思います。

私ごときの定義は後に回し、著名人の「才能とは」について語っている記事を抜粋してみます。

 

宮崎駿(映画監督・アニメーション作家)

「才能とは 情熱を持続させる能力のこと」

 

ジョン・レノン(イギリスのミュージシャン ビートルズメンバー)

「根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ」

 

村上春樹(小説家)

「才能とは何か? 僕もときどき(そんなしょっちゅうではありませんが)それについて考えます。それで思うんですが、ものすごく特別な、巨大な才能を例外にすれば、何かに目標を定めて、ずっと努力し続けられる力こそが才能の中核ではないでしょうか。(Twitterより)」

 

マリリン・モンロー(女優)

「たとえ百人の専門家が、あなたには才能がないと言ったとしても、その人たち全員が間違っているかもしれないじゃないですか。」

 

海堂尊(小説家・医師・医学博士)

「素質と才能は違うんだ。この世の中には、素質があるヤツなんて、実は大勢いる。河原の石ころくらいごろごろしている。才能とは、素質を磨く能力だ。素質と才能、このふたつを持ち合わせている人間は少ない。素質と才能の違い、それは努力する能力の差なんだよ。」

 

(才能とは何か!色んな分野の才能たちが発した「才能」の定義!!! サイトより引用

しています。https://matome.naver.jp/odai/2137018896541834501

 

さすがに、なるほどと頷けるコメントばかりですね。

私の考える才能とは、そのことにどれだけ時間を費やすことが出来るかだと思っています。人には神様から平等に与えられたものが有る。それは1日24時間という時間です。金持ちも貧乏人も、健康な人も身体の悪い人も、どんな人にも与えられた同じ時間の中で、費やす時間が長ければ長いほど上達する。

 

好きな事には時間をかけても苦になりません。

「好きこそものの上手なれ」、今やっていることが好きか否かが大切で有る。

才能が有るか無いかは、そのことが好きかどうかで決まると思います。

 

最後に同じサイトの中で、竹中直人さん(俳優)がこう言ってます。

「落ち込むって才能だよね。落ち込まない人はそれでいいと思っているから、決して今より上にはいけない。才能があるから落ち込むんでしょ。」

 

今日はこの辺りで。




2018年09月01日

初投稿「羞恥心」

 

はじめまして。
日本放映プロの養成部担当、上野祐嗣です。芸能界に入り40年以上、新人タレントの養成に携わり20年以上になりますが、今までタレントや役者にとって必要なことを、文章にしたためたことはありませんでした。

なぜなら、そんなに大した知識や技術でもないと思っていたからです。しかし、当社のタレントから「もっと早く先生に相談し、色々聞けばよかった」と、言われることが多くなり。最近私も何かと忙しくなったせいか、伝えたと思っていたことが伝え切れていなかったこともあり、反省と共に、今後相談を受けた時により深く話が出来るように、このブログで色々発信したいと考え、挑戦することにしました。

勿論、生徒でない方も利用頂ければ幸いです。但し、ここに書かれることは私個人の持論ですから、意に沿わない場合も有ることは承知の上、読んでください。

まずはじめに

「羞恥心は表現者にとって第一の敵である」

羞恥心は生きて行く上で、必要不可欠なものです。道徳や人道といった自身の行動を適正化してくれる大切なものです。例えば、子供がおねしょをし、恥ずかしいと思う感情だとか、社会人としてのマナーやルールを知らず、恥ずかしい思いをする感情などは人を成長させる上で、とても必要なことです。

しかし、表現者(特に経験の浅い人)にとっては恥ずかしい感情が、集中力の妨げになります。

特に初心者にとって羞恥心は緊張を生み出します。

例えば初心者Aさんは、

上手く出来ているかが気になり、観ている周りの目を気にして本来やるべき事が出来ない。周りの反応が悪いと一層緊張する。そして、上手く出来ていないと思い萎縮し私は下手だ、向いていないんじゃないかと思うようになる。

ここで大切な事は、初心者は上手く出来なくて当たり前だという事を忘れてはいけません。

また、少し慣れたBさんは、

結果を急ぎ、演じながら評価を確認するために、先生や演出家を見てしまう。自分だけの表現を気にするあまり、相手役とは上手くかみ合わない。

結果は、必ず後から付いて来るものです。演じている間は、演じる事を楽しみましょう。

羞恥心を消す為には、演者が演じる事そのものにどれだけ集中出来るかによって、羞恥心は取り除かれます。そして観ている者がその世界に引き込まれて行くのです。

演者がラブシーンを恥ずかしいと思いながら演じる芝居ほど、観ている者が照れくさいものはありません。

簡単に集中すればいいと言っても、そうそう上手く行くものでもありません。一番いいのは慣れることです。人前で数多く演じる事です。




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https://www.nihonhoeipro.co.jp/

大阪に本社を置き全国に出演網を持つ、タレント芸能プロダクション 『日本放映プロ』の上野のブログです。